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占領地では、日々パレスチナ人の家屋は破壊され、避難民となっています。

 東エルサレムでは、イスラエル政府/エルサレム市によって、ときにはイスラエル政府から許可を得た民間業者によって、パレスチナ人の家屋が日々破壊され、パレスチナ人住民は住むところを失っています。その事例のひとつをご紹介します。

 
 東エルサレムSheikh Jarrah地区の、ナブルス通りから少し脇に入ったところにある空き地に、数週間前から連帯のためのテントが張られています。このテントには、今年11月9日に、イスラエル軍によって長年暮らしていた家から追い出されたパレスチナ人の一家が住んでいます。


 このal-Kurd一家は、1948年に西エルサレムから追い出され、UNRWAとヨルダン政府の合意によってSheikh Jarrah地区にパレスチナ難民28家族のために建設された家に移り住みました(なおこの合意には、3年以内に家の権利がこの家族に移譲されることも含まれていたようです)。


 しかし、1967年のイスラエルによる占領直後から、ユダヤ人入植者団体がこの地区の土地の権利を主張し始めました。そして2001年、al-Kurd一家の主人であるAbu Kamelが心臓発作で入院した直後、入植者の一家族が一家の留守を狙い、家屋の一部を占拠しました。この占拠以降も、al-Kurd一家は占拠を免れた残りの部分に住み続けました。


 しかしながら、イスラエル最高裁が入植者の主張は根拠なしという判決を下したにも関わらず、今年に入り、イスラエルの投資会社がこの地区のパレスチナ人家屋の破壊と、200戸のユダヤ人向け家屋およびコミュニティーセンターの建設のための許可を得ました。そして、al-Kurd一家は、2008年7月15日までに家を出るようにという命令を受け取りました。この命令に対し、al-Kurd一家は裁判所に訴えるとともに、ISM(国際連帯運動)のメンバーが24時間体制でal-Kurd家に滞在していました。


 しかし、11月9日午前3時半、イスラエル軍がal-Kurd家を急襲、ISMのメンバーを拘禁している間に、一家を強制的に追い出しました。それ以降、この一家は追い出された家の近所の空き地で、テント生活をしています。


 この連帯のテントと空き地を囲むフェンスは、2週間前にイスラエル軍によって撤収・破壊されましたが(撤収に際して、投石を行った子供2人が兵士に撃たれたとのこと)、すぐにテントは再建され、現在もal-Kurd一家はここで暮らしています。なお、この家の主人Abu Kamelは、撤収から約2週間後の11月22日に血圧の過度の上昇によって亡くなりました。


(現在、この連帯のテントでは写真展が行われています。現地にいらっしゃった際には是非覘いてみてください。 )

(参照:「THE STRUGGLE IS NOT OVER: REMEMBERING MOHAMMED AL-KURD
By Pam Rasmussen, Live from Palestine, 26 November
2008」http://electronicintifada.net/v2/article9993.shtml)

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ラマダーン中のパレスチナより報告します。

P9263289.jpg


ラマダーン中は、多くのパレスチナ人が、 西岸地区から、イスラエル領内から、
アルアクサモスクに押し寄せますが、西岸地区のパレスチナ人の多くは、
イスラエルが発行しているエルサレムへの通行許可証を持たないため、
聖地を訪問し、宗教的義務を果たすことさえできません。

写真は、エルサレムと、ヨルダン川西岸地区北部(主要都市は、
ラマンラ、ナブルス、ジェニン、トュルカレムなど)を結ぶ
幹線道路上に建設された、西岸地区最大規模のチェックポイント、
カランディア・チェックポイントの一昨日(2008年9月26日)の様子です。

多くのパレスチナ人が、何時間も待った挙句、
イスラエル兵達に追い返されていました。
また、柵の前で待っていたパレスチナ人の若者数名が
イスラエル兵に拘束されていました。

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