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7月15日*木曜映画鑑賞会

本日、7月15日のボラチームは予告通り映画鑑賞会を行いました。
・・・が、『D.I.』ではなく、『Promises』を観ました。

ですが、Promisesを鑑賞して、それぞれの心に何かしら、しかもかなりずっしりとくるものを感じたのではないかと思います。

Promisesは、パレスチナとイスラエルに住むパレスチナ人・イスラエル人、アラブ人・ユダヤ人である7人の子どもたちが自分たちの考える「イスラエル・パレスチナ問題」、そして「和平」について、それぞれに悩み、素直に語り、涙するというストーリーです。

子どもたちの一言一言にはっとさせられ、唇を噛み締めるような思いになる場面もたくさんありました。

感想などは担当を1人決めて、次回の"バサルのちアサル"に掲載予定です。
参加出来なかった方もぜひ一度ご覧になって下さい!



そして、次回7月22日(木)のボラチームも映画鑑賞会を予定しております。
上映作品はまだ未定ですが、もしかしたら『D.I.』の可能性もあるかもしれません!
ぜひ奮ってご参加下さい。

それと、もうひとつ。
カステラもいただく予定だったのですが、次週に持ち越しということになりました~。
来週のメンバーでいただきたいと思います。
こちらもお楽しみに♪

それでは、みなさま、少し早いですが良い週末を。



Y
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7/15映画鑑賞会予告

先週ブログで投票を行った
7/15(木)20時からのパレスチナ映画鑑賞会の結果を報告致します。


投票の結果、鑑賞作品は

D.I.(Divine Intervention/ディー・アイ)】
(上記D.I.をクリックで映画のサイトへ)

に決定致しました!!


みなさま、どうぞふるってご参加ください!

雨が降ったり、室内が寒かったり、屋外が暑かったりと
気候や温度の変化が激しい日が続きますので
どうぞお体ご自愛なさって、ボラチームに元気に参加してくださいね!



Y

フィルムマラソン2009(前期)

6月26日、
みなさんお待ちかねのパレボラ(恒例)ビッグイベントのひとつ
フィルムマラソン2009が開催されました~

上映中・まだ集中してます・・・
IMGP2372.jpg
<上映中・みなさん集中してます>


フィルムマラソンとは!
夜中9時10時から翌日の始発以降の時間帯までに
パレスチナ問題にかかわる映画をリカさんお手製のお料理(ありがとうございました!とってもおいしかったです!)と
お菓子やフルーツを両手に次々と観賞しときには議論をし、などなどと
楽しみながら睡魔と格闘しながら
映画を通してパレスチナ理解を深める
というイベントです。


わけあって今回はJVCの事務所ではなく
HPインターンさんの仕事場@原宿(青山?)で行われました


選りすぐりのプログラムは
・あぽ
・women in struggle~目線~
・マーフィッシュ
・約束の旅路
・West Bank Story
・パラダイス ナウ
です。


West Bank Storyは
かの有名なミュージカル映画「ウエストサイド物語」の模倣映画(こういうのかっこよくなんていうのか忘れちゃいました・・・)でツボにはまった方が何名かいらっしゃったようです
なので来週のボラチームでもう一度観賞するかもです


おやすみなさい~
<数時間後には寝袋へ・・・>

IMGP2375.jpg
<さわやか?な朝帰り>


個人的にはなにもオールじゃなくてもいい気がします(笑)
だって最後のパラダイスナウはSくんと自分以外
誰も起きてませんでしたよ・・・


それにしても!
充実した半日でした!
いろいろと裏で準備してくれていたみなさんありがとうございます。
それではまた~


yk@ぼらちーむ



映画『バシールとワルツを』を見て。

昨日、エルサレムなど各地で、心から待ち望まれていた雨が降りました。 ここ、パレスチナの地では、水資源を争って人が死んでいきます。 だから、この地に降る雨には、平和の、命の匂いがします。


そんな雨が降る中、イスラエル/フランス/ドイツの合作映画『バシールとワルツを』を見ました。


バシールとは、1982年に、イスラエルの後押しでレバノンの大統領に就任し、 その直前に爆殺された、マロン派キリスト教徒指導者の名です。 そして、このマロン派キリスト教徒の民兵組織「ファランジスト」は、 1982年、ベイルートのサブラ・シャティーラ難民キャンプで パレスチナ人の民間人を、3日3晩、 銃や斧や棒切れで殺し続けたことでも、名を知られています。


そして、そのキャンプのまわりには、イスラエル軍が駐留し、 パレスチナ人がキャンプから出てこられないように見張ると共に、 ファランジストの民兵たちに、水や銃弾を供給していたそうです。


この映画は、そんな「バシール」と、「ワルツ」という名の残虐行為を踊った、イスラエル軍兵士たちの告白の映画です。 (詳細は、ネタばれになるので、書きません。)



見終わった後の感想は、なによりもまず、「気分が悪い」ということに尽きます。 それから丸一日、なんでこんなに胸糞が悪くなったんだうと、考えていました。


そして、俺が至った結論は以下のとおりです。


まず、兵士としての戦場での義務は、上官の命令に従って、人を殺すこと、です。イスラエル人の知り合いは、 「どんな命令にも従うこと。それが軍服を着た時の唯一の大義である」と言っていました。


それだけです。


だから、レバノン侵攻において、 イスラエル兵たちは、残虐行為も平気でやったし、ファランジストの虐殺も止めなかった。 すべては、「命令」なのです。


この作品の作者は、実際にレバノン侵攻に参加し、そんな体験からトラウマを抱えました。 トラウマを抱えたというよりも、あまりに非人間的な世界にいて、 あまりに非人間的なことをやっていたので、 本能的な部分で自己防衛機能が働いて、忘れてしまった、という方が正しいでしょう。


とにかく、主人公=作者は、 自分が何を忘れたのかを思い出すために、兵役時代の仲間に会い、少しずつ、自らの見たものを思い出していきます。 この映画は、それを淡々と語っていきます。 そう、この映画が胸糞悪いのは、 とても残酷なことを、あまりに「淡々と」語っているからなのだと思います。 では、何でこんな表現方法になってしまうのでしょうか。



それは、作者が、自らのトラウマを、 そのまま画面に焼き付けているから、 あるいは焼き付けることしかできないからだと思います。 だから、この映画を見る側は、レバノンでの作者の体験を追体験します。 そして、ついでに作者のトラウマも追体験します。「させられる」と言った方が正確かもしれません。そういう意味では、この映画は、良質の「戦争映画」と言ってもいいのでしょう。


もちろん、土井敏邦さんがご自身のWebコラム(http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20081207.html) で書かれていらっしゃるように、 この戦争がイスラエルによるレバノンへの侵略戦争であり、イスラエル人がパレスチナ人とレバノン人を人間として見られないところにこそ 本当の闇があり、問題の根源がある、という反論には同意できます。 そして、土井さんが、この映画がそのような背景と構造を語らないことを問題視されるのも頷けます。


それは、まさに正論です。 正論ではありますが、使い古された正論でもあると俺は思います。 そして、この正論だけでは語れないところに、 この戦争の問題、ひいては、イスラエル社会の深い闇があると、俺は思います。



さきほども言ったように、この映画は、トラウマを描く映画ではなく、 作者のトラウマを焼き付けた映画です。 そして、イスラエル人は、自分のトラウマをそのまま焼き付けるような、 そんな映画しか作れないのかもしれないと思います。これは、中東戦争を扱った他のイスラエル映画を見て感じたことでもあります。 そして、この点にこそ、イスラエル社会の問題の根深さがあると俺は思います。


つまり、主人公=作者は、 レバノンで、自分がどのように、どこまで人間的ではなくなったのかを語ることで、 人間性を取り戻そうとするのですが、結局、人間性の回復を、非人間的にしか表現できていないのです。言い換えると、戦争体験を通して自らの中に内面化された、非人間性を介してしか、 その体験を語ることができないのです。


その理由はおそらく、イスラエルにとって、 戦争は過去のことではなく、現在進行形だからでしょう。 戦争を悪いものとして、完全に断ち切って語ることができないからでしょう。「人間味に溢れた」戦争映画を作るには、 まだイスラエル社会のトラウマは癒えていないのでしょう。 むしろ、このトラウマを理由にして、 占領をつづけ、他国への、パレスチナ人への攻撃を繰り返すこの国は、 毎年、毎年、新たなトラウマを抱えてしまっています。 これは、まさに、イスラエル社会の闇から生まれる悪循環です。



だから、年初めのガザ地区での虐殺も、いとも簡単に起こってしまったのだと思います。この映画を見た時に感じた、気持ち悪さや寒気は、 今年初め、ガザ地区で虐殺が起こっているときに、 イスラエル人の友人たちと話していて感じたそれと似ています。 多くのイスラエル人は、1,300人以上の人たちが、 数キロメートル離れたところで、残酷に殺されていても、 自分たちの行動を正当化することに必死で、 殺人行為を正当化すること、そして殺人行為そのものの持つ残酷さを、自らの目から覆い隠してしまっていました。 親しい友人たちの、そんな顔色一つ変えずに、 攻撃を正当化する姿に、寒気がしたのを今も鮮明に覚えています。


そして、彼らが語った説明の多くは、 それなりに筋は通っていましたが、 土井さんが言うように、 「パレスチナ人は人間だ」という視点は、抜け落ちていました。 抜け落ちていたというよりも、 それを認めることへの恐怖心があるようにも思われました。


この映画の中でも、作者の友人が、イスラエル社会でよく聞かれる、典型的な主張を繰り返します。 主人公がそれをどう思ったかは、映画からは分かりません。 ただ、この映画が何よりも多くを語るのは、 戦争の話をする時の、 どことなくぎこちないイスラエル人の胸の張り方や、 居心地の悪そうな苦笑です。 (彼らがこれまで行ってきたことには決して敬服しませんが、これを描ける、作者の観察力と技術には素直に敬服します。) イスラエル人は、このぎこちなさや居心地の悪さを見て、共感するでしょう。なぜなら、イスラエル社会では、 この居心地の悪さや、罪の意識を持たないように踏ん張ることの「崇高さ」が、共有されているからです。


土井さんは、この映画は「背景や構造」を語っていないとご自身のブログに書かれています。 俺はそんなことはないと思います。 なぜなら、イスラエル社会に深く根付いた、このような居心地の悪さや、
罪の意識を持たないことへの価値意識が、 レバノン戦争の「背景や構造」の一つであったことは間違いないからです。




では、作者が、一番語りたかったこととは、何でしょうか。



俺は、主役が、とあるヨーロッパの国に住む昔の友人を訪ねる場面に、 作者の主張が最もよく表現されていると思います。 この場面に登場する友人は、 ファラフェル(ヒヨコマメのコロッケを入れたサンドウィッチ)を3年間売り続けて、 見渡す限りの大きな土地を手に入れました。


そこで、主役は尋ねます。


「これを全部ファラフェルを売って手に入れたのか?」


友人は自嘲気味に答えます。


「そうだ。3年間売っただけで手に入れた。あそこからここまで全部俺の土地だ。 40ドナム(1ドナムは1,000㎡)ある。」



この場面は、イスラエル国家と社会への皮肉に満ちていると私は思いました。 なぜなら、「ドナム」という単語の響きは、 イスラエルでは、土地面積以上の意味を持つからです。 入植者社会イスラエルでは、 流された血の量に値するものとして、そして流された血を贖罪するものとして、 土地は崇高なものだからです。 だから、この「ドナム」という単語の響きは、イスラエル人にとっては、 新たな地での民族の「再生」を意味するだけでなく、 そのために流されてきた人間の血をも想起させるでしょう。


一方、ファラフェルは、イスラエルでは、ジャンクフードの王様です。



つまり、この場面を通して、作者が伝えようとしているのは、 ファラフェルを3年も売っていれば手に入ってしまうようなもののために、 イスラエル社会は、若者たちを戦場に送り、残虐行為を行わせ、 一生癒えないトラウマを抱えさせたのかという イスラエル社会に対する強烈なメッセージなのです。


さらに、この場面では、この友人が手に入れた土地は、一面雪に覆われています。 そこでは、一人の少年が、玩具のライフルを持って戦争ごっこをしています。 この光景は、 「ドナム」という単語を聞いて赤い血を想起した イスラエル人にとっては、心に焼きつく映像でしょう。そして、イスラエル人は、この映像の子どもと自分を重ね合わせ、あるいは自分たちの子供たちとを重ね合わせることでしょう。 だから、この光景が、イスラエル人に語りかけていることとは、 イスラエル兵士たちが戦場で行ってきたことの馬鹿らしさであり、 この行為の背景にあるとされる「大義」の馬鹿らしさなのだと、私は感じました。


作者は、一方に「ドナム」、「ファラフェル」という単語の響きと、 他方に、見渡す限りの白い広野と、そこで遊ぶ子供の姿を置き、 それを対照させることで、 イスラエルが、土地を手に入れるために、これまで行ってきたことが、 どれほど馬鹿げたことなのかを、イスラエル社会に問いかけたかったのだと思います。


そして、この馬鹿らしさは、兵役に就くことが義務付けられ、 命令に従って何でもすることを要求される イスラエル・ユダヤ人の若者たちの多くが 心のどこかで思っていることだと思います。 国民皆兵制度を持つイスラエル社会では、 徴兵拒否まではしなくても(徴兵拒否をすると刑務所に送られる)、 外国に行ったり、仮病を使うなどして 徴兵から逃げる若者が増えています。 この、イスラエル人の多くが心のどこかでは思いながらも、 なかなか口に出すことのできないアホらしさを、 作者は語りたかったのだと、 俺は、雨の匂いを嗅ぎながら思いました。(終わり)


今野泰三(ヘブライ大学ロースバーグ国際校、パレスチナチーム・ボランティア)

映画『シリアの花嫁』

映画研究会との話↓もありましたが、ほんとに映画好きが多いですね~

私は先週、東京国際女性映画祭でプレミア上映された『シリアの花嫁』に行ってきました!
舞台は1967年の第三次中東戦争からイスラエルに占領されているゴラン高原の村。ここはかつてシリア領だったのですが、占領後も多くの住人は無国籍者となっています。このゴラン高原は、軍事上重要な土地であると共に、貴重な水源地であるとも聞いています。
映画の舞台となっている村も、緑が多い田舎町で、風景がとても美しい。
「ゴラン高原」という問題の土地を取り上げながらも、村のちょっとした街角や、家族の風景を丁寧に撮影していて、観客としては、物語の中に入りやすかったです。
ネタバレするといけないのですが、途中、花嫁の兄弟が外国から久しぶりに帰国して、どたばたがありながらも、うるっとくる場面があったり、そうかと思えば、その涙が一瞬に乾くコミカルな場面があったり、絶妙な物語の進行でした。
キャストも、主人公である花嫁の姉、ヒアム・アッバス(『パラダイス・ナウ』)をはじめ、演技派ぞろいです。

実は、このゴラン高原には国連のPKO・国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)として日本の自衛隊も参加しています。私は以前、UNDOFの基地に見学に行かせていただいたのですが、そのときにゴラン高原をシリア側から見てきました。イスラエルという国はすぐそこにあるのに足を踏み入れることができないということが、不思議な感じでした。そんなことを思い出しながら、この物語の花嫁が一度越えると戻ることのできない境界線を、どんな気持ちで眺めているのか…と思ってみたり。
パレスチナ問題ではないですが、「境界線」の物語として、皆さんにもぜひ見てもらいたい作品です。

作品は2009年2月21日から岩波ホールで上映されます。
『シリアの花嫁』公式サイトはこちらから
http://www.bitters.co.jp/hanayome/

私もも一度観に行こっかな~

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