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エルサレムで会った、アラビア語を話すタクシー運転手の正体

パレスチナ/イスラエルに来てから1年半以上経ちましたが、今日、その滞在中でも、最高の出会いをしました。


エルサレム東部にあるアルクッズ大学に行く途中のことでした。大学での待ち合わせの時間に遅れそうだったので、旧市街のダマスカス門から、パレスチナ人運転手のタクシーをひろうことにしました。


パレスチナ人運転手のタクシーをひろおうと思った理由は、ちょっとエルサレムに住んでみないと解りにくいかもしれませんが、パレスチナ人の大学であるアルクッズ大学がある地域(アブー・ディースと呼ばれてます)を、ユダヤ人運転手は知らないし、知っていても怖がって行ってくれないからです。


そこで、ダマスカス門の前でタクシーを見つけて、運転手に「アブーディース知ってる?」と、アラビア語で聞きました。


60代ぐらいの、その運転手は、俺の質問を理解したらしく笑顔でうなづくので、俺はパレスチナ人の運転手であると思い、乗ることにしました。


そして、車の中でいつも通りアラビア語で会話を始めました。
運転手:「ここで何してるの?」
俺:「学生です。アラビア語でヘブライ語を勉強してます。」
運転手:「イスラエルにいて、幸せかい?」
俺:「悪くはないです。」
運転手:「でも、なんでここでアラビア語を勉強してるんだい?アラビア語を話す人はあまり多くないし、話す機会も少ないだろう?」
俺:「そうですね。でも、ここが好きなんですよ。それに、ヘブライ語も勉強したかったからです。」

運転手:「そうか・・・ 結婚は?」
俺:「まだです。お金がなくて。」
運転手:「何歳?28歳?お父さんは助けてくれないのかい?結婚した方がいいよ。」
(タクシーに乗るといつも言われます。余計なお世話なんですが、タクシー運転手と喧嘩するとタチが悪いので、笑顔で対応。)





運転手:「で、キミ、アラブ人・・・?ムスリム?キリスト教徒?」
俺:「いえ、仏教徒です。」
(別に仏教徒でもないのですが、説明すると面倒なので、とりあえずは仏教徒と言ってます。)



運転手:(目を丸くして、俺の顔を見つめること5秒・・・)
















俺:「あなたの宗教はなんですか?ムスリム?」
運転手:「いや、ユダヤ人。」








俺:「え・・・・・?(ユダヤ人?アラビア語?ダマスカス門?)」











俺:「なんで、アラビア語をそんなに話せるんですか?」
運転手:「私は、イラク出身だからね(笑顔)。14歳の時にこっちに来たんだ。仕事でもアラビア語を使うことがあるしね。こっちのアラブ人から学んだんだ。」
俺:「へー、イラクですか~。いいですね。一度、行ってみたいですよ。出身はどちらですか?」
運転手:「○○○。(俺の知らないところだったので、場所を聞くと、)イラクにはたくさん町があるからね。ここに比べたら、イラクはとても大きいのだよ。」
俺:「イスラエルに比べたら、日本も大きいです。」
運転手:「ははは!当然だ。イスラエルなんて豆みたいだ(笑)。」



こうして、笑顔のチャーミングな、イラク出身のユダヤ人運転手と、 移民してきたときの苦労話から、家族の話など(彼には、すでにひ孫までいるそう)アラビア語での談義に花が咲いたのでした。


タクシー代は、降りるときに「キミの好きな額を払えばいい。」と言われ、シリアでも同じことを色々なところで言われたのを思い出しました。満足した額だけ払えばいい。これぞアラブ文化です。


ユダヤ人と、政治状況の複雑なここエルサレムで、彼の母語のアラビア語で会話できたことは、本当に良い体験でした。彼のように、アラブ諸国から来たアラビア語を母語とするユダヤ人が世代を重ね、消えていってしまっていることは、とても残念です。彼らは、「見えざるユダヤ人」なだけでなく、「消え行くユダヤ人」なのかもしれません。


でも、彼の子孫に、アラブの魂は残っていくでしょう。例えば、俺の大学の友達に、イラク出身のユダヤ人2世で、親戚が湾岸諸国に住んでいる人がいます。彼も嬉しそうに(だが、小声で、まわりを気にしながら)アラビア語を話してくれました。


こうやって、ヘブライ語ばかりが目立つイスラエルでも、アラビア語とアラブ文化は、細々とですが残っていくのだと思いますし、パレスチナ人が、アラブ系ユダヤ人に親近感を感じていることからもわかるように、ユダヤ人が、周りの人たちと中東で仲良く暮らしていくためには、その文化力が必要になるときが来るのだと思います。


今野泰三(ヘブライ大学ロースバーグ国際校、パレスチナチーム・ボランティア)
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

12月29日 続くガザへの攻撃 2

一日中、ニュースはガザの状況を伝えています。
夕方、JVCエルサレム事務所には来客があったのですが、
「今、345人って言った?」と、犠牲者の数を伝えるテレビ画面を、皆で見つめていました。

心配になっていたところ、ガザのJVC関係者から電話がかかってきました。




イテダル(ガザ)20:00頃 ランドラインで通話
今日の午後は北部、ジャバリアやベイト・ラヒアが集中的に攻撃を受けたわ。
多くの戦車、兵士がボーダー付近に待機していると聞いている。
1967年の六日戦争の時だって、こんなにひどくはなかった。
私はその時10歳だったけれども、よく覚えている。
攻撃はあったけれども、メーンストリートでの攻撃が主で、
その時は今の状態みたいにどこもかしこも、誰もが攻撃されるかもしれない
というわけではなかったもの。


フブス(パン)を買うのに人々はベーカリーに何時間も並んでいる。
空爆の中で、それでも食べるものがないの。
野菜と、マカロニなど乾燥食材で食べつないでいるわ。
UNRWA(=United Nations Relief and Works Agency、国連パレスチナ難民救済事業機関)は
難民への食糧配布をストップしていると聞いている。
もう難民に配る十分な小麦粉、砂糖などのストックがないのよ。
その代わりに、わずかな在庫のある小麦粉をベーカリーに回しているとも聞いているわ。


子どもたちは毎晩、眠れない夜に眠りにつくときに、
いつでも避難できるようにバッグを準備して、外に出られる服装をして寝ている。
私の姪も15歳だけれども、「死ぬ時にパジャマじゃ嫌。綺麗な服を着ていたい」って
出かける時の服を着て寝ているの。15歳の女の子がよ。


今、ガザの多くの人たちが、
「今から空爆を行うから家から退去せよ」というメッセージの電話が
イスラエルからかかっていると聞いているわ。
そうして退去した人たちは、家が見える通りに家族で立ち尽くして、
家が爆撃を受けるのを見ているのよ。
彼らはいったい、どんな気持で見ているか。
それに家からは何も運び出せないし、一度壊された家財などは、
今のガザには買えるものはないし、そんなお金もないわ。


明日も職場もAEIの栄養センターも閉まる予定。
(AEI=Ard El Insan、人間の大地。JVCが栄養失調児支援をともに行っている現地NGO)
この仕事を20年以上やってきたけれども、
仕事ができない、センターが開けられない、こんなに悔しくて不安なのは始めてよ。


モナ(ガザ)22:00頃 ランドラインで通話
昨日の夜は、1:30から2時ごろにかけて、近くが激しい攻撃を受けたから、眠れなかった。
私の家も爆撃の振動でしばらくゆれていたわ。
娘が目を覚まさないか不安だったけれども、精神的に疲れていて寝ていたみたい。
イスラミック大学が攻撃を受けたのは、象徴的な狙いよ。


うちにはラジオがないの。いつもは車のラジオがあるし、家にはテレビがあるもの。
でもテレビはもちろん、電気が来ている時にしか使えないから、
電池を使うラジオを買わなきゃ。
ああ、今は電気が来ている。シャワーを浴びることができるかしら。


ガザ事務所とエルサレム事務所のスタッフ間で、毎日連絡を取っているわ。
(彼女は国際NGOのガザ事務所で働いている)
今日も、明日は事務所に出勤しないようにという連絡があったの。
コーディネーターのヘバの家は、空爆を受けたモスクの近くにあったから、
窓が全て割れてしまって、彼女は親戚の家に移っている。
もう1人のコーディネーターのラシャは、ラファに住んでいて、
集中攻撃を受けたトンネルに近いから、彼女も親戚の家に避難したわ。
幼稚園児に配る鉄分強化牛乳(JVCも共同で支援を実施)は、相変わらずガザに入ってきていないの。
とはいっても、子どもたちはもちろん、幼稚園に来ることもできていないけれども。
ガザはマーケットにも物がなくなって、私の家のガスタンクは、泥棒が入ってきて全て持っていってしまった。
一缶400NIS(=約10,000円。以前は約60NISだった)もするのよ。
だから、料理ができないの。
窓は爆風で割れるのが心配で開けているから、
寒い夜にコーヒーも作ることができないのが、本当に精神的に疲れるわ。


(JVCが東京で、30日に抗議行動を予定していることを伝えると)
すごいこと、ガザの人たちを思って行動してくれる人たちがいることを嬉しく思う。
何百万人という人たちが今、世界中で通りに出てガザの人たちのために声を上げている。
何かが変わることを祈っているわ。

12月29日 続くガザへの攻撃

今日もイスラエルの攻撃は続いており、ガザの人々は眠れない日々を送っています。
多くの民間人が犠牲になっています。
JVCが栄養失調児の支援を行うAEI(=Ard El Insan)のスタッフの今朝の声をお伝えします。


イテダル(ガザ) 29日9:00頃 自宅のランドラインで
昨日も眠れない夜だった。空爆は続き、イスラミック大学、ガザ中部が攻撃された。
海上からも攻撃があり、全ての漁師のボートが破壊された。
漁師のボートを破壊しても何の意味があるのだろうか。
海岸沿いは危ない。誰も歩くことができない。

昨日ジャバリア地区でモスクが攻撃され破壊された時に、近くの家が被害を受けた。
5人の娘と母親が亡くなり、皆近所の人たちが自分たちの危険も省みずもう1人の
娘を懸命に救出した。このニュースは私たちを更なる悲しみに突き落とした。

皆が家でじっと座っている。
攻撃の音を聞いたら、電池を使うラジオをつけてニュースを確認している。
電気はここ4日間ほとんど来ておらず、昨日は2時間だけ来たがとても弱い電力で、充電などはできなかった。
水も電力を使うので使うことができず、タンクにためている水を少しずつ使っている。
できるだけ水も電気も使わないように、お皿を洗うのも、シャワーも、
食事を作るのも全て水を節約して、また家族皆で一度にするようにしている。
昨日はゼイトゥーン地区(ガザ市)のガスステーションで、
ジェネレーター用のガソリンを買うことができて一安心した。
ガスステーションには、攻撃が続く中も人が溢れている。

AEIのセンターは相変わらず閉まっている。
オフィスにコンピューターなどの機器を取りに行くこともできない。
早く栄養センターを再開したい。もっと多くの子どもたちが訪れるだろう。
食べるものが全くない状態で、怯えている子どもたちがたくさんいる。

UNOCHAのガザの状況に関する最新レポート

12月27日 ガザ空爆 PMRSの様子

ガザ空爆の続報です。
現地時間17時現在、犠牲者数は285名と報道されています。
今日は、イスラエル軍は地上戦の準備を始めたとも報道されており、
ガザの人々は今日も不安と恐怖の中にいます。

ガザのPMRS(Palestinian Medical Relief Society=パレスチナ医療救援協会)
関係者と話すことが出来ましたので、彼のコメントを紹介します。

PMRSはJVCと長く事業を行ってきた地元の医療NGOです。
これまでにJVCは、西岸での診療所支援、モバイルクリニック支援、
そして現在は東エルサレムでの健康教育をともに行っています。
今年の2月末には、ガザの本部およびクリニックがイスラエル軍の攻撃の被害にあい、
救急車、医薬品、機材等が破壊されたことを受けて、JVCは緊急支援を行いました。



アブ・クーサ氏(ガザ) 28日15:00頃 携帯電話にて
攻撃は今も続いており、戦闘機の音が絶え間なく続いている。
現在ガザのPMRSの全てのクリニックは、24時間体制で働いている。
全ての医師、スタッフを動員し、空爆の被害を受けた人も含めて通常の3倍もの患者を受け入れている。
政府の病院は医薬品また医師も不足しており、どんどん患者が運び込まれてくる。
PMRSのクリニックでも、かねての封鎖により医薬品が入ってこないため
100種類以上の医薬品が不足している。医薬品の搬入は相変わらず厳しい。
また、ボランティアも全て動員して通りに出て人の救護にあたっているが、
救急車の燃料が足りないことも不安の1つ。
政府の病院では亡くなった人々をお墓に運ぶまで冷蔵庫に入れているが、
そのキャパが足りず、多くの遺体が外に並んでいる。



亡くなった人々、負傷した人々、その友人、家族のこともそうですが、
医師、看護師、ボランティアが総動員、24時間体制で動いていることを思うと、
なんとか力になれないかと、検討しているところです。

12月27日 ガザ空爆

12月27日、現地時間午前11:30頃、イスラエル軍がガザに大規模な空爆を行いました。
報道によれば、これまでに235人の犠牲者、700人以上の負傷者が出ています。
あまりに残酷で卑劣なイスラエルによる侵攻は、まだ継続、拡大されることも予想されます。
電力不足の続くガザでは携帯電話もなかなか通じませんが、
これまでに連絡のついた関係者、知人の声をお届けします。



イテダル(ガザ)28日8時頃 携帯電話で
家族、友人、AEI(Ard El Insan=人間の大地。栄養失調の子供のケアを行うローカルNGO)のスタッフ、皆とりあえずは無事。
AEIの栄養センター(JVCは栄養失調児に対して治療のための栄養食配布の支援をしている)は、ガザ、ハンユニスともに今日から閉まっている。食べ物が底をついているガザで、栄養失調のケアが必要な子どもたちは増えている一方、一日も早くセンターを再開したいけれども、両センターともに電気がない。昨日は空爆が始まってすぐに、その時センターにいた母親と子どもたちを帰した。AEIのセンターに人々が押し寄せているということは現在ないようだが、治療に通っている子どもたちの中に犠牲になった子がいたかどうかもわからず、スタッフも皆心配している。
今も戦闘機が飛んでいる音がして、ガザの人たちは恐怖で一睡も出来ない夜を過ごした。昨日の空爆は急襲だったけれども、人々は3日前くらいにマーケットから全てのものが消えて、本格的に、何か恐ろしいことが始まるという予感はしていた。
シュファ病院の近くのモスクが完全に破壊され、シュファ病院も被害を受けたと聞いているけれども、医療品など全てが不足する中、人々の手当てに追われている。路上で倒れる人々、空爆が続く中もその人々を助けようとする人々で、路上は騒然としていた。
この状況の私たち、子どもたちを救えるのは神だけだ。

モナ(ガザ)27日18:00頃 携帯電話で
全く急な出来事で、何が起こったかわからなかった。オフィス(彼女は国際NGOで働いている)はクリスマス、年末休みに入っていて、空爆が始まった時は友人を訪問していた。家族、友人ともに無事。家には電気がなく寒いが、いつまた空爆があるかわからない。以前妹の家の近くで爆撃があった時に、爆風で窓が全て割れたことがあった。またそれが起こるかもしれないので、窓を全開にしている。
今もガザ市内で煙が上がっているのが見える。また、煙の匂いもする。家にいてラジオを聞き続けることしかできないけれども、じっとしていても安全ではない。娘は既に寝てしまった。電気も来ておらず戦闘機の音を聞いて怯えることしかできない。なんとか気丈にとは思っているけれども、ガザの人たちがどれだけ持ちこたえられるか。明日どうなるかと考えると眠ることができない。
(西岸、東エルサレムでもストライキやデモなどの動きがあると伝えると)いつも私たちガザの人々は孤立させられているから、人々が私たちと思いを共にしていると聞いて、少し心強く感じる。

イブラヒム(ガザ)27日18:30頃 携帯電話に通じたが、ランドラインに切り替え
家の周辺は大きな今のところ大きな被害は受けておらず家族も無事だが、学校の子どもたちの下校時間と重なったので、多くの子どもたちが犠牲になったのではないか。皆が恐怖におびえている、ただただ、安全に過ごすこと、自分の子どもを守るために何ができるかしか考えられないが、ガザのどこも、もはや安全ではない。
(電話中、向かいの家に電気がついたのを見て、家族の人を走らせましたが、ジェネレーターを動かしていたとのこと。落胆した様子で電話口に戻ってきました)
ここ3日間、家には電気が全く来ていない。病院は医療品と電力の不足に加えて次々と運び込まれる負傷者で溢れている。

ユセフ(ガザ)27日21:00頃 携帯電話で。メディアで働く彼は、ここ数日徹夜で仕事中
疲れた。こんな悪夢は今まで目にしたことがない。ガザの人々は怒りというよりも、まだショックの状態にある。イスラエルが攻撃の準備をしていると皆が聞いていて、近いうちに攻撃があるだろうと予想はしていたが、ここまで大規模になるとは誰も思っていなかった。
泣き叫ぶ人々、乗用車で怪我人を運ぶ人々、血にまみれた路上、レポートをしながらも僕の手は震えている。今も10機の戦闘機が頭上を飛んでいる音がする。ガザの封鎖による貧困と飢餓で、人々はすでに憔悴しきっていた。この空爆でどれだけ人々が精神的にダメージを受けたか、犠牲者や負傷者の数では計り知れない。イスラエルの狂気を誰が止められるのか。無力なガザの人々のために、祈ってほしい。



西岸各地では昨日からラマッラー、ヘブロン、ベツレヘムなどを中心にデモやストライキが行われ、
今日も各地でデモが予定されています。また、東エルサレム周辺でも、衝突が起きているようです。
西岸、東エルサレムでも混乱が飛び火する可能性もあります。
こちらの様子も追ってお届けしたいと思います。
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